・この場所で・
アートアイランズTOKYOでも地味ですが会場となってきた新島で産まれ、小学校を卒業するまで暮らしました。この場所は近所の同級生(ともちゃん)の家です。ともちゃんの祖父母の家と続いているこの土間では島の名産品くさやが作られていました。記憶の中では遊びに行くと中庭でお家で食べる分くらいのくさやが干されていたのを覚えています。おじいちゃんとおばあちゃんの時代はくさやの全盛期で中庭いっぱいにくさやを干している写真がともちゃんの家の母屋に飾られています。
記憶は定かではないのですが、ともちゃんのおじいちゃん、おばあちゃんのところに遊びにいって、ともちゃんとそこにある道具で遊びたいので借りようとすると、おじいちゃんはいつも「おー、いいどいいど(いいよ)」と優しく答えてくれました。おばあちゃんの方は声が大きいこともあり、正直少し近寄りづらかったのですが、怒られた記憶はありませんし、後に伺ったところによると、気さくで優しい方だったそうです。
私の父は新島小学校の図画工作の教員だったので、長い休みの時は家族で美術館に画を観に行ったりして何かと美術に接する機会が多く、また私自身も幼いころから画を描くことや物を作ることが好きでした。
高校のころ、ともちゃんがおじいちゃん、おばあちゃんをモデルにして描いた画を見る機会がありました。見た瞬間、とても感動しました。おじいちゃん、おばあちゃんの穏やかなお人柄がにじみ出ている、見る人を暖かい気持ちにさせてくれる愛情あふれる画で、私は絵画の持つ「伝える力」がこれほど大きなものなのかと気づかされました。モデルになったおじいちゃん、おばあちゃんもとても嬉しかっただろうとそんな画を描けるともちゃんが羨ましくも思いました。この画が、私自身を美術や工芸の世界への道といざなってくれたと言っても過言ではありません。
ともちゃんのおじいちゃん、おばあちゃんの代までくさやを作っていたその場所は、その後、ともちゃんのお父さんの大工仕事の場になりました。お父さんはご自身の手で何でも作れる方で、お父さんが二人の娘さんの為に作ってあげた筏を海に運び、ともちゃんに伴われその筏に私も乗せてもらったことはとても楽しく忘れられない思い出です。
おじいちゃん、おばあちゃんのほか、お父さんも、いまは皆さんもう他界され、ともちゃんも東京に住んでいます。寂しい気持ちになりますが、また、世代が変わり新たな空気に包まれることでしょう。親友の家、この場所には、新島時代のたくさんの思い出が詰まっています。
庭と一階
集落に近い海沿いには冬場に海から吹いてくる強い西風を和らげる為、海へ降りる道は竹製の垣根が迷路のように作られていた。そのイメージで竹の垣根を迷路風に作りロフトへ行く道を作る。
ロフト
自分では陶で青い波を作って置く。
参加型
来てくれた方々に笹舟的な舟を作って貰って好きに置いてもらう。
材料は笹や他の葉っぱ、折り紙など自由。
-何故舟か-
・海に縁のある家系の家
・お盆に新盆の方が帰ってきた霊を舟に乗せて浄土に送る風習が思い浮かんだ為。
現在は舟で送ることはしていない。